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素晴らしいですね…1980年代までがギリ鉄道の黄金時代だったでしょうか登場する車両や列車は今だったら撮り鉄が殺到するようなイベント列車扱いになりそうなのばかり夜行列車も急行もなくなり地方はロングシートの細切れ運転ばかりで18きっぷも改悪されズタズタです動画を見て昔の郷愁に浸るしかありませんね
当時かなり減ったと感じていましたが、多客期には臨時列車も多く設定されるので賑やかだったと、改めて感じました。今は駅の行き先表示を見ても新幹線と通勤電車しかないのでワクワク感がありませんね。
はぁ~、全てが懐かしい。昔に戻りたい
@@かま-h7f 全くです。駅の雰囲気や列車の空気感、全てが良かったように思います
@user-tabiichiro 国鉄時代は鉄道を五感で楽しんでいました。車内のにおい(嗅覚)車掌や駅の肉声などによる放送、オルゴール、ベル音、車掌所属の場所による訛り、汽笛(聴覚)色とりどりの塗装、行先や列車種別など(視覚)食堂車や駅そばや駅弁など(味覚)寝台に横になった時に全身で感じられる(触覚)
@@かま-h7f本当にブルトレ独特のにおいが懐かしいです。
冒頭、居並ぶ車両群を見ただけでも落涙ものですね。
そうですね。この動画の見せ場の一つでもあります。
序盤の優等列車目白押しの時点で旅のロマンが満載です。貴重な映像をありがとうございます。
あのシーンだけで酒が飲めますね。
西駅が懐かしい、母が鹿児島出身でしたから明星もよく利用しました。流す感じの走りがいいですね。幼い頃、西鹿児島行きのあかつき号の20系車内から一定のリズムで波打つ通信ケーブル(かな?)を不思議な感じで眺めてたのを思い出します。ありがとうございます。
通信ケーブルはよくわからないです。僕も母の里が枕崎なので当初あかつきで里帰りしてました。
20系寝台、懐かしいですね。確かベッド幅が狭い52cmだったような…。20系は昔、大阪から大社まで急行寝台だいせん号に乗車したことあります。また西鹿児島から大阪まで583系電車寝台なは号にも乗ったことあります。上段だったので小窓から外の景色を楽しんだ記憶があります。今ではブルートレインはなくなってしまったから淋しいかぎりです😢
だいせんはいつも自由席で通路がデッキでした。福知山などで駅弁を買いがてらホームに出ると紺色のカーテンが並んだ寝台が見えて羨ましかったです。583も上段の秘密基地感が好きでした
ホームのキオスク懐かしいですね。
@@祐一-n7t 西鹿児島の枕崎線ホームなも売店がありますね
手動ドア、まごうことなき”旧客”な20系。関東からだと20系は九州内完結急行か東北方面くらいしか馴染みなく、明星臨時はハードルが高かったものです。大阪駅の9・10番線は福知山線の旧客からもよく見た場所ですが、長旅を終えて「おぉさか おぉさか 長らくのご乗車・・」 これ聞くと着いたなぁ、でした。 アルプスの牧場のオルゴールも20系独自タイプ、このリズムと音色は気動車では聞けない貴重なものですね。
この時代、別にアップしている「旧客なき後ファンはどうしたか」でも述べているように、腑抜けになっていました。しかし20系は本物の手動ドアなので、これこそ日本最後の旧客という気分で乗っていました。大阪駅のアナウンスも懐かしいですね。485系にもまだ国鉄マークがついている事に気づきました
20系客車は最後に乗ったのは、大阪―岡山間の快速20系客車さよなら号です。発車時はこの時もドアは車掌と駅員で手分けして閉めていました。岡山に到着後、回送で引き上げる時に蛍の光がBGMで流れていたのが一層お別れ感が増して良かったです。
そんな列車があったんですね。20系は手動ドアというのが最後の旧客の系譜のようにおもっていました。新大阪到着時、ロックが外れたタイミングでドアを開けています
さよなら20系の列車、地元の駅の馴染みの駅員に発売されたらマルス叩いてくださいってお願いしたけど瞬く間に完売したって、、めちゃくちゃ心残りやわ
JRになってすぐの頃ですね。この頃はまだ鹿児島本線も夏期の繁忙期の臨時列車も運行されていましたよね。博多~熊本間も臨時急行ひのくにてのもありましたよね。
@@こんなおや-x7c そうですね。ひのくにもありましたし、ふるさともありましたね
素晴らしい動画です!大阪九州夜行には縁がなかったので乗車している気分で拝見しました。山陰の10系、だいせんの20系に乗ってみたかったとつくづく思います。「臨時寝台特急20系明星」この響きが当時の鉄道マンの使命感に感じました。混み合う車内の旅情感が、サンライズのそれとは全く違いなんか泣けてきました!
ありがとうございます。まだ盆暮は満員になるくらい需要があり、数多くの臨時列車も運転されてましたね。行き先表示を見るだけでもワクワクできました。
1度だけ熊本に行くために「なは」号に乗りました。青森から「白鳥」に乗って新大阪で乗り継ぎです。白鳥号では日本酒を飲む人がいたけれど、「なは」号では焼酎を飲む人が多かったのを今でも思い出します。
九州方面はやはり焼酎ですね。僕の祖父もいつも飲んでました。つけ揚げと共に。僕も九州旅行の際はそうしてます
冒頭に鹿児島車両区に停まっていた455系の先頭車、サロ455系から改造された600番台が連結されてましたね。ただ田の字窓になっていたのは残念でしたがあと20系に関しては昭和35年公開の東映映画の大いなる爆進では国鉄が全面協力で20系の車内など余すところなく映ってましたね。
サロ455600は日豊本線で乗りました。席はボックス固定になっていたと思います。大いなる爆進は夏休みに動画が無料公開していたので何度も見返しました。台風なのに、走れるところまで走る。昔はそうだったなと思い出しました
最後の貨物と並走するシーンなんか、泣けてくる😂そして、車内メロディのテンポが早いwww
最後の貨物との並走はいい絵が撮れたと思います。20系のアルプスの牧場はテンポが早いですね。他の動画でもこんな感じだったので気動車のとは根本的に違うのかもしれません
こんにちは~20系懐かしいですね~見ているとお客さん結構乗ってるのが凄いです~民営化のその年なので車 掌さんも国鉄そのままでいい感じ~😄昔に戻りたい心境に駆られました。すれ違う貨物列車もタンク車がづらりで国鉄のまま~😄貴重な動画大変楽しませて頂きましたァ~ありがとうございます~😄
@@namisakamoto726 ほんと、まだ国鉄らしさが残っており、すれ違いの列車もまだまだ国鉄ですね
20系、一度乗って見たかったな!今は模型で走らせるか、鉄道博物館に行くしかないもんな。
末期は同じダイヤで急行になったので寝台と特急券差額合計3,000円程安く乗れました。お得なので何度か利用しました
20系客車はデビュー当初は先進的な車両だったんですよね。
当時の生活レベルからすると先進的だったんでしようね。僕の家にクーラーが付いたのは昭和63年ですから
普通に20系寝台特急が走っていた時代が懐かしいですね。教室の窓から東上する上りのさくらを眺めていました。東京行の急行高千穂とか今思えばとんでもない長距離急行でした。
高千穂桜島を学校から見れたんですね。それは羨ましい。鉄道に興味持つのがあと2年早ければ高千穂桜島も乗る事はなくても見にいったとおもいます。
1987年4月、大学入学の諸手続きのため臨時寝台特急「明星」に大牟田~岡山間乗車したのを思い出しました。寝台特急「なは」の寝台券も入手可能でしたがあえて「明星」を予約して20系3段式B寝台を選びました。当時、寝台の幅こそ24系25型が勝るものの緩衝器や足回りの性能から乗り心地自体は20系の方が良いという話を聞くことができました。
僕もあえて20系を選んでました。一つには栄光の走るホテルに乗りたかったため、また1000円安いのも魅力でした。急行になってからは同臨時の金星(14系座席)が特急指定券って3500円に対し、急行霧島なら寝台急行券6200円なので差額2700円で寝台に乗れるのはお得でした。
明星から雷鳥という豪華リレー。
@@テイコウタロウ 雷鳥の後には白鳥が控えてます
ナハネフ22の展望窓は今見ても美しいですね。20系の寝台の解体作業は人手がかかりました、省力化された2段ハネとは対照的です。JR化後の映像ですがクハ481にJNRマークが残っていたのに感激しました。
寝台解体は撮らねばと思いました。大阪駅のクハ481にまだ国鉄マークがあったのですかさず収めています。20系も落ちぶれていたものの、24系とは違う風格がありましたね
まだくろしおが新大阪進出前なので京都から南紀白浜への特急はこれまで唯一通った奈良線関西線そして今はもうない阪和貨物線経由(杉本町でスイッチバック)の臨時特急しらはまがあった時代です。この時代は夜行列車が普通にあって時刻表見るのが楽しかった時代です
臨時特急しらはまは知りませんでした。87年4月号では設定がなかったようですね。
素晴らしい!とてもいいものを見れて感謝致します。個人的にもっと無加工の撮って出し映像を見てみたいです。
ありがとうございます。本当にいいものは字幕も何もいらないと思うので過去編集したものもアップしようかと思います
昔、上野駅で20系の夜行急行列車の十和田3号を見た事があったな。現代よりも昔の国鉄時代が良かった😮
@@黒い魔神 そう思います。今のように見かけだけで安っぽいものとは違う感じがしますね
九州 東北 急行客車寝台特急客車一緒地方は別世界です。
確かに、そうですね。寝台特急は色々沢山ありましたけど、急行では十和田の他に、おが、天の川 津軽 雲仙 だいせん等です。
@@黒い魔神 さんありがとうございます。寝台急行天ノ川 おが は有名ブルートレイン初ローカル男鹿線凄いです。理由は終着駅まで行く列車九州 門司港駅初ブルートレイン2010年代団体14系客車使用西日本有名な大社線 大社駅急行だいせん20系 出雲市駅〜終着大社駅北海道には20系客車急行残念です。
大阪駅周辺は動画当時から様変わりしてるのに、新大阪手前の淀川を渡る手前に見える寺院の目玉だけは変わって無いと言う現実に驚きを隠せません。
そうですね。駅ホームなども完全に別になっているのに変わらない所はそのままなので間違いなく、この場所と分かりますね
関西からの20系臨時列車は時々ホリデーパル用のが付いている事がありましたね😊もちろん両数が足りないので一般の20系と混成されていましたが😅私は銀河、天の川(昼寝区間のみ)、エキスポドリーム(つくば博は行かず)で乗りましたが今思えば旧客ほど積極的に乗ってないのが悔やまれます😢
ホリデーパルもありましたっけ?玄海で見たような気もします。銀河、天の川、新星は初代20系急行でしたね。
懐かしいです!あと、西鹿児島駅にロビーカー車両と12系ボックスは異色ですね、キハ58の国鉄色が鹿児島運転所にあったのですね、恐らく余剰になったかですね。僕も臨時20系明星は乗りました、オルゴールもアルプスの牧場で懐かしいさを思い出しました、何か全てがすごい映像なので昔はこれらを体験できた僕自身も良かったなあ〜と思います。新大阪に着くと急行但馬ですかね白鳥とか日本海とか駅降りるとホッするのとまた行きたいなぁと旅情を誘うシーンばかりが懐かしいです。
昔撮った覚えのあるビデオが見つからず探していましたが、やっと見つかったのでアップできました。今見ると貴重な西駅の雰囲気も撮れていてよかったです。旧客がなくなって腑抜けになっていながらも手動ドアを確認しているあたり我ながらよく撮ったと思います。
旅一郎さん、本当見つかって良かったですね。
関西から山口に帰省するのに20系寝台に乗る為にわざわざ下り明星で熊本まで行きました。狭い中段寝台もいい思い出。
僕もこの時中段でした。三段寝台の証明になるのが中段ですね。寝台列車に乗るのにわざわざ戻るというのは僕もやりました。末期の「富士」で岡山まで戻って東京まで乗った事があります。
@user-tabiichiro あと、東京経由で下りあさかぜも(笑)ブルトレは独特の雰囲気で良かった!
私は20系客車には乗ったことがありませんが、窓が開閉できてカメラを回せるんですね~✨😳
客室窓は固定で出入り口折戸は手動でした。走行中は基本閉めるのですが時には閉め忘れて発車する事もあります。閉めていても車体側上部に鉄の爪がありその爪を簡単に押し上げる事が出来ます。爪は出発後降りてきて、到着客扱いの時は爪が電磁磁石によって爪が上がり手動で折戸が開きました。
車掌に頼んで車掌室からビデオを回させてもらいました。ドアはコメントにあるように走行中はロックをかけますが半開きのままロックがかかっている場合は開ける事もできました
20系客車が「手動ドア」なのも各車両に乗務する“ボーイ”がドア開閉する事を前提にしていたから。急行転用時に12系と併結する車両は自動ドアに改造された個体もあったが、多くは手動で残りボーイが消えた後は車掌が開閉を確認するようになり業務に支障を来した。見た目は優美なナハネフ22も車掌室は曲面ガラスからの雨漏りが酷く老朽化が目立っていた急行や臨時特急で使用された頃の20系客車は乗務員からは好まれていなかった。
20系の乗車体験としては、一度だけ1991年GWに臨時寝台特急あさかぜ82号から格下げされた、臨時急行玄海に乗車したことがあります。寝台幅は52cmと狭いのは否めませんでしたが、発車時の「カックン」というショックが無かったことは、14系や24系よりも優れていると感じました。49:29 また最後の映像に映っていた日本海は、北斗星に導入前の金帯3本&引戸改造車が組み込まれていることから、恐らく盛アオ所属車ではないかと思います。
この数年後に明星→霧島、あかつき→雲仙、あさかぜ→玄海になりましたね。お得度が増したと思います。日本海→あおもりも。
西鹿児島駅😊大好きです。鹿児島中央駅20年たちました現在西鹿児島名前がなくなりました😢
僕の中でではいまでも「西駅」(西鹿児島)です。死ぬまでそう呼び続けます。
今は鹿児島中央(旧:西鹿児島)から新大阪まで新幹線で3時間40分ですからね~。それでも飛行機相手に苦戦してるワケですから時代の流れは残酷ですね~。
当時は飛行機が高かったので東京の親戚が鹿児島へ里帰りする時はいつも「はやぶさ」でした。また高いとはいえ往復寝台特急割引を使えば26,000円で新大阪ー西鹿児島を往復できたので昭和53年当時の定価並の安さでした
20系は臨時寝台特急の日本海82号しか乗ったことがない😢37年前の青森から大阪まで乗った😢
日本海も乗りました。1000円安く乗れるのでお得な気がしました。
@user-tabiichiro お得だけど😄🎵三段寝台で寝台幅52センチは🤨24系を先に体験してたから🤗20系は狭かったです😵💦でもまた乗りたい思い出☺️
32:40 おお!上郡か…?
分かりますか。ありがとうございます
この時期繁忙期臨時列車で20系だと大はずれ引いた感半端なかった
@@sunami808 この日は満席だったように思います。1000円安い位では割が合いませんね。僕は好きで乗ってるからいいのですが。
@@user-tabiichiro20系はアスベスト問題が大きくなる前に下手に海外譲渡されずに廃車解体されていたのはある意味でJRにとってよかったのかもしれないですね。
まだ特急の時代ですね。日本海81,82号もあった時代です。その後急行に格下げになり、明星は霧島になったと思っています。20系3段寝台は確かに狭かったですが、座席で行くよりも楽で贅沢なものでした。高校の修学旅行以外学生の時は利用したことはなく、社会人になってからの利用です。余談ですが、2006年にはなたび北海道フリーきっぷというものが販売され、急行はまなすのB寝台にも追加料金なしで乗れるという特典があったので迷わず利用したことがあります。はまなすの寝台はそれが最初で最後でした。開放型寝台はもう利用することはないのでしょう。
おっしゃる通り20系の狭い寝台でも座席より遥かに楽ですね。RUclipsでも高速バスはそれほどきついとは言われないのに。たとえ3列シートの豪華仕様でも完全に横になれる20系の方上だと思いますし、事故に対する安心感が違います。今も解放寝台のかわりにwestエクスプレス銀河のクシェットが人気ですが、ベットの広さはともかくスケスケのカーテン?と比べ20系がそこまで劣っているとは思えませんね。にもかかわらず、クシェットは高評価、20系は低評価というのは実際に比べたものではなく「みんなが言ってるから評価している」だけのように思います。昨今の食楽列車にしても、あれだけ高価なお金を払う割りに、所詮は豪華な弁当(車内調理なし:サフィール除く)に過ぎないものをもてはやす割りに、なぜか車内調理していた国鉄の食堂車を貶している傾向があるのはステレオタイプというか、大人の作法、或いは宗教のようで位気持ち悪いです。
@@user-tabiichiro 様West Express銀河は普通に乗れるんですか?旅行会社のツアー商品だとばかり思っていますが、実際に乗れるのなら考えたいとは思います。いかんせん行くまでが遠くて元が117系ですから行ける時になったときは廃車なんてことはないでしょうか。食堂車は在来線は北海のキシ80、新幹線は100系の2階建てが最後です。北斗星やトワイライトエクスプレスには乗ったことがなく気ままに入れなさそうで行く気が失せます。ビュッフェは、787系かもめで利用したのが最後です。車内で調理しないのに食堂車とは、おこがましいですね。駅弁を温めるとの同じではないでしょうか。大変なご苦労があると思いますが、車内で調理してこそだと思います。
@@bibilu2007-man 当初は駅売りの計画でスタートでしたが、ちょうどコロナになり、旅行会社の商品になってました、最近は駅売りするようです
ヘッドマークなし💧💧
カニの方ににはついてました
まだJR後直後は20系の臨時も特急扱いやったけど後で長崎行きはあかつきから雲仙、西鹿児島行きは明星から霧島、青森行きは日本海からあおもりに格下げされたな末期は3本あった白いストライプのうち、1番上のラインを省略したからカニ21やナハネフ22が海坊主みたいになってたし、、
格下げされてより割安になったので利用ハードルが下がりました。白鳥で3000円払うかあおもりに6200円払うかで3000円程度の差額で寝台に乗れた訳ですから。
霧島の最晩年はにちりんを系統分離して新設された特急きりしまと重なるので桜島に。確か機関車にもマーク付きだったと思います彗星81,82号と金星は特急でも14系座席車(全車指定席)という冷遇さ…急行銀河81,82号も
20系客車は気が付けば急行専用車輌になりつつあった。頑張れば殿様あさかぜにも乗れたので後悔もある。白帯が一本省略された頃には内外装ともにくたびれが目立ち狭く前時代的な装備も相まって赤字国鉄の象徴。しかし腐っても鯛。静粛性だけは群を抜いていた。音を発する機材を客室から極力遠ざけ、内装にはハードボードが多用されノイズを吸収する構造が幸いした。こんな“贅沢な車輌”は二度と出てこない。
小学生の頃最後の殿様あさかぜを夜中に見た事があります。あの後20系はどんどん急行になっていき上の帯もけされて品格が下がったように感じました。それでも丸いナハネフ22のデザインはのちの25型などと比べ風格はありますね。
@@user-tabiichiro3両しか製造されなかったナロネ20系の個室寝台車が連結されていましたよね。
@ 僕が見てた時は末期のナロネ22の頃でした。厳密には殿様では無いのかもしれませんね
はやぶさ客車ロビーカー😮
留置してありましたね。当時編成に入ってだはずですが。
私の場合85年に大阪駅で臨時20系明星を撮影した時マークが何故か“急行”を裏返して取り付けて運転してました😁🤘
急遽の対応だったんですかね。それは見た事がないです
北急8000型がちらっと
@@yoshiyukitaguchi862 どこかに写ってますか
ワキ5000ちらっと
@@yoshiyukitaguchi862 この時代の貨物列車はまだバラエティに富んでましたね
素晴らしいですね…1980年代までがギリ鉄道の黄金時代だったでしょうか
登場する車両や列車は今だったら撮り鉄が殺到するようなイベント列車扱いになりそうなのばかり
夜行列車も急行もなくなり地方はロングシートの細切れ運転ばかりで18きっぷも改悪されズタズタです
動画を見て昔の郷愁に浸るしかありませんね
当時かなり減ったと感じていましたが、多客期には臨時列車も多く設定されるので賑やかだったと、改めて感じました。
今は駅の行き先表示を見ても新幹線と通勤電車しかないのでワクワク感がありませんね。
はぁ~、全てが懐かしい。昔に戻りたい
@@かま-h7f 全くです。駅の雰囲気や列車の空気感、全てが良かったように思います
@user-tabiichiro
国鉄時代は鉄道を五感で楽しんでいました。車内のにおい(嗅覚)車掌や駅の肉声などによる放送、オルゴール、ベル音、車掌所属の場所による訛り、汽笛(聴覚)色とりどりの塗装、行先や列車種別など(視覚)食堂車や駅そばや駅弁など(味覚)寝台に横になった時に全身で感じられる(触覚)
@@かま-h7f
本当にブルトレ独特のにおいが懐かしいです。
冒頭、居並ぶ車両群を見ただけでも落涙ものですね。
そうですね。この動画の見せ場の一つでもあります。
序盤の優等列車目白押しの時点で旅のロマンが満載です。
貴重な映像をありがとうございます。
あのシーンだけで酒が飲めますね。
西駅が懐かしい、母が鹿児島出身でしたから明星もよく利用しました。
流す感じの走りがいいですね。
幼い頃、西鹿児島行きのあかつき号の20系車内から一定のリズムで波打つ通信ケーブル(かな?)を不思議な感じで眺めてたのを思い出します。
ありがとうございます。
通信ケーブルはよくわからないです。僕も母の里が枕崎なので当初あかつきで里帰りしてました。
20系寝台、懐かしいですね。確かベッド幅が狭い52cmだったような…。20系は昔、大阪から大社まで急行寝台だいせん号に乗車したことあります。また西鹿児島から大阪まで583系電車寝台なは号にも乗ったことあります。上段だったので小窓から外の景色を楽しんだ記憶があります。今ではブルートレインはなくなってしまったから淋しいかぎりです😢
だいせんはいつも自由席で通路がデッキでした。福知山などで駅弁を買いがてらホームに出ると紺色のカーテンが並んだ寝台が見えて羨ましかったです。583も上段の秘密基地感が好きでした
ホームのキオスク懐かしいですね。
@@祐一-n7t 西鹿児島の枕崎線ホームなも売店がありますね
手動ドア、まごうことなき”旧客”な20系。関東からだと20系は九州内完結急行か東北方面くらいしか馴染みなく、明星臨時はハードルが高かったものです。大阪駅の9・10番線は福知山線の旧客からもよく見た場所ですが、長旅を終えて「おぉさか おぉさか 長らくのご乗車・・」 これ聞くと着いたなぁ、でした。 アルプスの牧場のオルゴールも20系独自タイプ、このリズムと音色は気動車では聞けない貴重なものですね。
この時代、別にアップしている「旧客なき後ファンはどうしたか」でも述べているように、腑抜けになっていました。しかし20系は本物の手動ドアなので、これこそ日本最後の旧客という気分で乗っていました。大阪駅のアナウンスも懐かしいですね。
485系にもまだ国鉄マークがついている事に気づきました
20系客車は最後に乗ったのは、大阪―岡山間の快速20系客車さよなら号です。発車時はこの時もドアは車掌と駅員で手分けして閉めていました。岡山に到着後、回送で引き上げる時に蛍の光がBGMで流れていたのが一層お別れ感が増して良かったです。
そんな列車があったんですね。
20系は手動ドアというのが最後の旧客の系譜のようにおもっていました。新大阪到着時、ロックが外れたタイミングでドアを開けています
さよなら20系の列車、地元の駅の馴染みの駅員に発売されたらマルス叩いてくださいってお願いしたけど
瞬く間に完売したって、、
めちゃくちゃ心残りやわ
JRになってすぐの頃ですね。この頃はまだ鹿児島本線も夏期の繁忙期の臨時列車も運行されていましたよね。博多~熊本間も臨時急行ひのくにてのもありましたよね。
@@こんなおや-x7c そうですね。ひのくにもありましたし、ふるさともありましたね
素晴らしい動画です!大阪九州夜行には縁がなかったので乗車している気分で拝見しました。山陰の10系、だいせんの20系に乗ってみたかったとつくづく思います。「臨時寝台特急20系明星」この響きが当時の鉄道マンの使命感に感じました。混み合う車内の旅情感が、サンライズのそれとは全く違いなんか泣けてきました!
ありがとうございます。まだ盆暮は満員になるくらい需要があり、数多くの臨時列車も運転されてましたね。
行き先表示を見るだけでもワクワクできました。
1度だけ熊本に行くために「なは」号に乗りました。青森から「白鳥」に乗って新大阪で乗り継ぎです。白鳥号では日本酒を飲む人がいたけれど、「なは」号では焼酎を飲む人が多かったのを今でも思い出します。
九州方面はやはり焼酎ですね。僕の祖父もいつも飲んでました。つけ揚げと共に。僕も九州旅行の際はそうしてます
冒頭に鹿児島車両区に停まっていた455系の先頭車、サロ455系から改造された600番台が連結されてましたね。ただ田の字窓になっていたのは残念でしたが
あと20系に関しては昭和35年公開の東映映画の大いなる爆進では国鉄が全面協力で20系の車内など
余すところなく映ってましたね。
サロ455600は日豊本線で乗りました。席はボックス固定になっていたと思います。
大いなる爆進は夏休みに動画が無料公開していたので何度も見返しました。
台風なのに、走れるところまで走る。昔はそうだったなと思い出しました
最後の貨物と並走するシーンなんか、泣けてくる😂
そして、車内メロディのテンポが早いwww
最後の貨物との並走はいい絵が撮れたと思います。
20系のアルプスの牧場はテンポが早いですね。他の動画でもこんな感じだったので気動車のとは根本的に違うのかもしれません
こんにちは~20系懐かしいですね~見ているとお客さん結構乗ってるのが凄いです~民営化のその年なので車 掌さんも国鉄そのままでいい感じ~😄昔に戻りたい心境に駆られました。すれ違う貨物列車もタンク車がづらりで国鉄のまま~😄貴重な動画大変楽しませて頂きましたァ~ありがとうございます~😄
@@namisakamoto726 ほんと、まだ国鉄らしさが残っており、すれ違いの列車もまだまだ国鉄ですね
20系、一度乗って見たかったな!今は模型で走らせるか、鉄道博物館に行くしかないもんな。
末期は同じダイヤで急行になったので寝台と特急券差額合計3,000円程安く乗れました。お得なので何度か利用しました
20系客車はデビュー当初は先進的な車両だったんですよね。
当時の生活レベルからすると先進的だったんでしようね。僕の家にクーラーが付いたのは昭和63年ですから
普通に20系寝台特急が走っていた時代が懐かしいですね。教室の窓から東上する上りのさくらを眺めていました。東京行の急行高千穂とか今思えばとんでもない長距離急行でした。
高千穂桜島を学校から見れたんですね。それは羨ましい。鉄道に興味持つのがあと2年早ければ高千穂桜島も乗る事はなくても見にいったとおもいます。
1987年4月、大学入学の諸手続きのため臨時寝台特急「明星」に大牟田~岡山間乗車したのを思い出しました。寝台特急「なは」の寝台券も入手可能でしたがあえて「明星」を予約して20系3段式B寝台を選びました。当時、寝台の幅こそ24系25型が勝るものの緩衝器や足回りの性能から乗り心地自体は20系の方が良いという話を聞くことができました。
僕もあえて20系を選んでました。一つには栄光の走るホテルに乗りたかったため、また1000円安いのも魅力でした。急行になってからは同臨時の金星(14系座席)が特急指定券って3500円に対し、急行霧島なら寝台急行券6200円なので差額2700円で寝台に乗れるのはお得でした。
明星から雷鳥という豪華リレー。
@@テイコウタロウ 雷鳥の後には白鳥が控えてます
ナハネフ22の展望窓は今見ても美しいですね。20系の寝台の解体作業は人手がかかりました、省力化された2段ハネとは対照的です。JR化後の映像ですがクハ481にJNRマークが残っていたのに感激しました。
寝台解体は撮らねばと思いました。
大阪駅のクハ481にまだ国鉄マークがあったのですかさず収めています。
20系も落ちぶれていたものの、24系とは違う風格がありましたね
まだくろしおが新大阪進出前なので京都から南紀白浜への特急はこれまで唯一通った奈良線関西線そして今はもうない阪和貨物線経由(杉本町でスイッチバック)の臨時特急しらはまがあった時代です。この時代は夜行列車が普通にあって時刻表見るのが楽しかった時代です
臨時特急しらはまは知りませんでした。87年4月号では設定がなかったようですね。
素晴らしい!とてもいいものを見れて感謝致します。
個人的にもっと無加工の撮って出し映像を見てみたいです。
ありがとうございます。本当にいいものは字幕も何もいらないと思うので過去編集したものもアップしようかと思います
昔、上野駅で20系の夜行急行列車の十和田3号を見た事があったな。現代よりも昔の国鉄時代が良かった😮
@@黒い魔神 そう思います。今のように見かけだけで安っぽいものとは違う感じがしますね
九州 東北 急行客車寝台特急客車一緒地方は別世界です。
確かに、そうですね。寝台特急は色々沢山ありましたけど、急行では十和田の他に、おが、天の川 津軽 雲仙 だいせん等です。
@@黒い魔神 さん
ありがとうございます。
寝台急行天ノ川
おが は有名ブルートレイン
初ローカル男鹿線凄いです。
理由は終着駅まで行く列車
九州 門司港駅初ブルートレイン
2010年代団体14系客車使用
西日本有名な大社線 大社駅
急行だいせん20系
出雲市駅〜終着大社駅
北海道には20系客車急行残念です。
大阪駅周辺は動画当時から様変わりしてるのに、新大阪手前の淀川を渡る手前に見える寺院の目玉だけは変わって無いと言う現実に驚きを隠せません。
そうですね。駅ホームなども完全に別になっているのに変わらない所はそのままなので間違いなく、この場所と分かりますね
関西からの20系臨時列車は時々ホリデーパル用のが付いている事がありましたね😊
もちろん両数が足りないので一般の20系と混成されていましたが😅
私は銀河、天の川(昼寝区間のみ)、エキスポドリーム(つくば博は行かず)で乗りましたが今思えば旧客ほど積極的に乗ってないのが悔やまれます😢
ホリデーパルもありましたっけ?玄海で見たような気もします。
銀河、天の川、新星は初代20系急行でしたね。
懐かしいです!
あと、西鹿児島駅にロビーカー車両と12系ボックスは異色ですね、キハ58の国鉄色が鹿児島運転所にあったのですね、恐らく余剰になったかですね。
僕も臨時20系明星は乗りました、オルゴールもアルプスの牧場で懐かしいさを思い出しました、何か全てがすごい映像なので昔はこれらを体験できた僕自身も良かったなあ〜と思います。
新大阪に着くと急行但馬ですかね白鳥とか日本海とか駅降りるとホッするのとまた行きたいなぁと旅情を誘うシーンばかりが懐かしいです。
昔撮った覚えのあるビデオが見つからず探していましたが、やっと見つかったのでアップできました。
今見ると貴重な西駅の雰囲気も撮れていてよかったです。旧客がなくなって腑抜けになっていながらも手動ドアを確認しているあたり我ながらよく撮ったと思います。
旅一郎さん、本当見つかって良かったですね。
関西から山口に帰省するのに20系寝台に乗る為にわざわざ下り明星で熊本まで行きました。狭い中段寝台もいい思い出。
僕もこの時中段でした。三段寝台の証明になるのが中段ですね。
寝台列車に乗るのにわざわざ戻るというのは僕もやりました。末期の「富士」で岡山まで戻って東京まで乗った事があります。
@user-tabiichiro
あと、東京経由で下りあさかぜも(笑)
ブルトレは独特の雰囲気で良かった!
私は20系客車には乗ったことがありませんが、窓が開閉できてカメラを回せるんですね~✨😳
客室窓は固定で出入り口折戸は手動でした。走行中は基本閉めるのですが時には閉め忘れて発車する事もあります。閉めていても車体側上部に鉄の爪がありその爪を簡単に押し上げる事が出来ます。爪は出発後降りてきて、到着客扱いの時は爪が電磁磁石によって爪が上がり手動で折戸が開きました。
車掌に頼んで車掌室からビデオを回させてもらいました。
ドアはコメントにあるように走行中はロックをかけますが半開きのままロックがかかっている場合は開ける事もできました
20系客車が「手動ドア」なのも各車両に乗務する“ボーイ”がドア開閉する事を前提にしていたから。
急行転用時に12系と併結する車両は自動ドアに改造された個体もあったが、
多くは手動で残りボーイが消えた後は車掌が開閉を確認するようになり業務に支障を来した。
見た目は優美なナハネフ22も車掌室は曲面ガラスからの雨漏りが酷く老朽化が目立っていた急行や臨時特急で使用された頃の20系客車は乗務員からは好まれていなかった。
20系の乗車体験としては、一度だけ1991年GWに臨時寝台特急あさかぜ82号から格下げされた、臨時急行玄海に乗車したことがあります。寝台幅は52cmと狭いのは否めませんでしたが、発車時の「カックン」というショックが無かったことは、14系や24系よりも優れていると感じました。
49:29 また最後の映像に映っていた日本海は、北斗星に導入前の金帯3本&引戸改造車が組み込まれていることから、恐らく盛アオ所属車ではないかと思います。
この数年後に
明星→霧島、あかつき→雲仙、あさかぜ→玄海になりましたね。お得度が増したと思います。日本海→あおもりも。
西鹿児島駅😊
大好きです。
鹿児島中央駅20年たちました
現在西鹿児島名前がなくなりました😢
僕の中でではいまでも「西駅」(西鹿児島)です。死ぬまでそう呼び続けます。
今は鹿児島中央(旧:西鹿児島)から新大阪まで新幹線で3時間40分ですからね~。
それでも飛行機相手に苦戦してるワケですから時代の流れは残酷ですね~。
当時は飛行機が高かったので東京の親戚が鹿児島へ里帰りする時はいつも「はやぶさ」でした。
また高いとはいえ往復寝台特急割引を使えば26,000円で新大阪ー西鹿児島を往復できたので昭和53年当時の定価並の安さでした
20系は臨時寝台特急の日本海82号しか乗ったことがない😢37年前の青森から大阪まで乗った😢
日本海も乗りました。1000円安く乗れるのでお得な気がしました。
@user-tabiichiro お得だけど😄🎵三段寝台で寝台幅52センチは🤨24系を先に体験してたから🤗20系は狭かったです😵💦でもまた乗りたい思い出☺️
32:40 おお!上郡か…?
分かりますか。ありがとうございます
この時期繁忙期臨時列車で20系だと大はずれ引いた感半端なかった
@@sunami808 この日は満席だったように思います。1000円安い位では割が合いませんね。
僕は好きで乗ってるからいいのですが。
@@user-tabiichiro20系はアスベスト問題が大きくなる前に下手に海外譲渡されずに廃車解体されていたのはある意味でJRにとってよかったのかもしれないですね。
まだ特急の時代ですね。
日本海81,82号もあった時代です。
その後急行に格下げになり、明星は霧島になったと思っています。
20系3段寝台は確かに狭かったですが、座席で行くよりも楽で贅沢なものでした。
高校の修学旅行以外学生の時は利用したことはなく、社会人になってからの利用です。
余談ですが、2006年にはなたび北海道フリーきっぷというものが販売され、急行はまなすのB寝台にも追加料金なしで乗れるという特典があったので迷わず利用したことがあります。
はまなすの寝台はそれが最初で最後でした。
開放型寝台はもう利用することはないのでしょう。
おっしゃる通り20系の狭い寝台でも座席より遥かに楽ですね。RUclipsでも高速バスはそれほどきついとは言われないのに。たとえ3列シートの豪華仕様でも完全に横になれる20系の方上だと思いますし、事故に対する安心感が違います。
今も解放寝台のかわりにwestエクスプレス銀河のクシェットが人気ですが、ベットの広さはともかくスケスケのカーテン?と比べ20系がそこまで劣っているとは思えませんね。
にもかかわらず、クシェットは高評価、20系は低評価というのは実際に比べたものではなく「みんなが言ってるから評価している」だけのように思います。
昨今の食楽列車にしても、あれだけ高価なお金を払う割りに、所詮は豪華な弁当(車内調理なし:サフィール除く)に過ぎないものをもてはやす割りに、なぜか車内調理していた国鉄の食堂車を貶している傾向があるのはステレオタイプというか、大人の作法、或いは宗教のようで位気持ち悪いです。
@@user-tabiichiro 様
West Express銀河は普通に乗れるんですか?
旅行会社のツアー商品だとばかり思っていますが、実際に乗れるのなら考えたいとは思います。
いかんせん行くまでが遠くて元が117系ですから行ける時になったときは廃車なんてことはないでしょうか。
食堂車は在来線は北海のキシ80、新幹線は100系の2階建てが最後です。
北斗星やトワイライトエクスプレスには乗ったことがなく気ままに入れなさそうで行く気が失せます。
ビュッフェは、787系かもめで利用したのが最後です。
車内で調理しないのに食堂車とは、おこがましいですね。駅弁を温めるとの同じではないでしょうか。
大変なご苦労があると思いますが、車内で調理してこそだと思います。
@@bibilu2007-man 当初は駅売りの計画でスタートでしたが、ちょうどコロナになり、旅行会社の商品になってました、最近は駅売りするようです
ヘッドマークなし💧💧
カニの方ににはついてました
まだJR後直後は
20系の臨時も特急扱いやったけど後で長崎行きはあかつきから雲仙、西鹿児島行きは明星から霧島、青森行きは日本海からあおもりに格下げされたな
末期は3本あった白いストライプのうち、1番上のラインを省略したからカニ21やナハネフ22が海坊主みたいになってたし、、
格下げされてより割安になったので利用ハードルが下がりました。
白鳥で3000円払うかあおもりに6200円払うかで3000円程度の差額で寝台に乗れた訳ですから。
霧島の最晩年はにちりんを系統分離して新設された特急きりしまと重なるので桜島に。確か機関車にもマーク付きだったと思います
彗星81,82号と金星は特急でも14系座席車(全車指定席)という冷遇さ…急行銀河81,82号も
20系客車は気が付けば急行専用車輌になりつつあった。
頑張れば殿様あさかぜにも乗れたので後悔もある。
白帯が一本省略された頃には内外装ともにくたびれが目立ち狭く前時代的な装備も相まって赤字国鉄の象徴。
しかし腐っても鯛。静粛性だけは群を抜いていた。
音を発する機材を客室から極力遠ざけ、
内装にはハードボードが多用されノイズを吸収する構造が幸いした。
こんな“贅沢な車輌”は二度と出てこない。
小学生の頃最後の殿様あさかぜを夜中に見た事があります。
あの後20系はどんどん急行になっていき上の帯もけされて品格が下がったように感じました。それでも丸いナハネフ22のデザインはのちの25型などと比べ風格はありますね。
@@user-tabiichiro3両しか製造されなかったナロネ20系の個室寝台車が連結されていましたよね。
@ 僕が見てた時は末期のナロネ22の頃でした。厳密には殿様では無いのかもしれませんね
はやぶさ客車ロビーカー😮
留置してありましたね。当時編成に入ってだはずですが。
私の場合85年に大阪駅で臨時20系明星を撮影した時マークが何故か“急行”を裏返して取り付けて運転してました😁🤘
急遽の対応だったんですかね。それは見た事がないです
北急8000型がちらっと
@@yoshiyukitaguchi862 どこかに写ってますか
ワキ5000ちらっと
@@yoshiyukitaguchi862 この時代の貨物列車はまだバラエティに富んでましたね